日本動物虐待防止協会の藤村さんからお誘いを受け、福島に出かけることになりました。
彼女をつくば駅でピックアップし、常磐・磐越・東北道を通って福島へ向かいました。
途中のSAで夕飯を食べ、到着はま夜中となり福島駅前のホテルに宿泊。
翌日は早朝に高邑議員やAPF通信のカメラマンさんたちと駅で待ち合わせ、南相馬に移動しました。
前線基地のようなYさん宅でお話をしたあとで、南相馬市役所へとまわりました。
今回はいろいろな方がここにお集まりで、桜井市長に対するそれぞれのご意見やアイデアを拝聴することとなりました。
1頭ずつ、ていねいに、犬猫の身になっての保護活動でなければと、思いながら聞いておりました。
シェルターというのはほんとうに難しいものです。
多頭を収容するということは、病気感染の危険に対して万全の策を講じなければならないということです。
さもなければ病気を蔓延させてしまい、元気な猫も罹患させてしまう、これでは虐待になってしまいます。
特に猫の場合は強い感染症があります。それも空気感染をする猫風邪などの対策に、最低でも3種ワクチンを摂取してから初めて、ほかの猫のいる部屋に入れなければなりません。
同じ生活環境にいた猫であっても、まずは血液検査をしてから収容したいものです。
感染症の罹患別にすみわけなくては、唾液や咬み傷から病気がうつってしまいます。
白血病のおそろしさはボランティアさんならば経験済みと思います。
ケージや捕獲器はハイターやビルコンで洗浄しなければなりません。
排泄物の処理時や給食時に移りやすい猫パルボなどは、ある猫を触った手で別の猫を触る、ということから蔓延するといいますので、できれば世話をする人も別にした方がよいくらいです。
犬だってジステンパーやパルボがあります。まず1~2週間は検疫室に入れて、発症しなければ大部屋に入れる、という手順を踏まないと。
病気の感染だけではありません。
例えば室温管理。気がついたら冷房が故障してみな熱中症で死んでいた、ということも発生し得るのです。
海外のシェルターでは、1日に最低1度の機械系統チェックが義務づけられ、故障時にはアラームが鳴るようになっています。
室温管理と空調は要です。これからの季節は特に。
シェルター運営は、民間ボラや地元の住人の応援を多数活用するのはもちろんよいとは思いますが、まずは行政と獣医師が中心となって、感染症防止に詳しい方を配属し、責任をもって管理運営すべきと思います。
そこに透明性が求められるのは当然です。
税金で行う事業は広く国民に公開されるべきと考えます。
シェルターのなかみを見せない、非公開、というのは異常な事態だと思います。
今後のために思うこと:
保護活動の現場では、1頭ずつていねいに、扱いに間違いのないように慎重に行動する。
捕獲器にナンバリングし、それぞれの責任者を決め、置き忘れていくことがないようにする。
仕掛けた捕獲器の設置場所を地図に印しておく。
捕獲器に布を被せ、猫のストレス軽減に努める。
まずは病院で早急な健康チェック(血液検査、ワクチン、ノミダニ回虫駆除)を。
適切な時期の不妊手術。
データ管理。
収容場所(2~3段ケージに最高2匹まで)の清掃、室温管理、夜間の管理体制。
収容動物の福祉向上のためには、シェルターのガイドライン策定が求められます。
一日も早く。
馬事公苑は、住民の一時帰宅の基地なっています。
高邑議員さん、APF通信の皆さん、環境学の若手研究者さん、藤村さんとここへ移動。
圏内から助けられた馬たち。
人猫共生会議のSさんご夫妻、猫と友達地域猫のとんさん、サラネットワークの谷野代表とも落ち合いました。宮城のボランティア仲間のOさんも駆けつけられました。
一時帰宅された住民の方の依頼で、犬2匹、ほかにも多数の猫が引き出される予定でしたので、そのお迎えで待機していました。
結果は犬のみ。
とんさんや谷野さんたちはYさんのお宅へまわって、数匹の猫をお預かりされました。
その間にこちらは宮城のボランティアさんのサポートで残り、飼い主さんに頼まれた犬の保護をしました。飼い主さんにしかなついていない野性的な大型犬を、ワイヤーごとケージに入れて保護。
帰り道には別の放浪犬に出くわし、Oさんが手際よくリードをつけて保護。
途中、人間のみ避難してしまったお宅の前で、犬の亡骸を見ました。
離れずにここでずっと待っていたのだと思います。
からになったエサの容器が近くに転がっていました。
多くの国民の嘆きと救済への願いをよそに、「動物は助けない」という状況が何ヶ月も放置されたままになっているという現実は、私たち大人だけでなく、未来を担う子どもたちの心と目にしっかりと焼き付いて、消し去ることはできません。
今だけでなく、これから先もずっと、この国の成したことは世界で語りつがれることになるでしょう。
将来、世界に出て活動する子どもたちの自尊心はどうなるのか?
日本人としての誇りをもってのびやかに仕事ができるでしょうか?
もう時間はありません。
いのちを救え、との多くの声が獣医師や弁護士、議員、ボランティア、日本中から集まる今、その願いを結実させまいとする勢力が究極のところどこであるのかは、今後も検証されるでしょう。
いのちへの鈍い感覚。
飢餓の苦しみに対する想像力の欠如。
これは、「野良猫にエサやるな」「増えてしまった宮島のシカにエサをやるな」に共通する残虐さです。
飢えさせること、水をやらないことで衰弱させて数を減らす。
この感覚は果たして倫理上まっとうでしょうか。
ペットショップや繁殖業者により過剰に供給され、安易に遺棄されてしまう動物たちを
炭酸ガスで処分することで数を減らす、という構造と重なって見えます。
なぜこうも残虐なのか?
なぜ声をあげないのか?